フィールナッシング
MOGA THE ¥5
弱気になっちゃって
トドメを刺してください
時は過ぎ去って行っちまいました
まだ僕は夢の
夢のかけらを探してる
ふと立ち止まって
見上げた空
なぜなんだろうか
ぷっつりとと途絶えてしまったようだ
止まらない僕の暴走する妄想が
形ないものを失ってました
閃きに純粋従ってもいいですか
急に騒ぎ出した駆け抜けてく存在感は
切なさを増して行くけれどももう大丈夫
アイフィールナッシング
価値もないと思い込んだら
消えそうになった
フイルムを巻き戻してくれる
答えなんてないさ
噛みちぎってしまえ
その青臭いものを
たった一つだって言えるのは
真っ直ぐになんて
歩けない道ばかりです
すぐ側にあって気付かない小さな出来事
通り過ぎて行ったこの目先の問題以上に
ましてニュースなんてその全てが作り物だと
消えそうになった僕を柱に繋いでくれる
行方知れずの道
行き当たりばったりのストーリー
どれも皆自ら選んだ事に間違いはないから
知らばくれるなって
僕が僕に嘘をつく事
片目を開いて眠るのが勿体無いと
壁に寄り添って動かない重い何かが
まだ僕の夢と淡い期待を置き去りなんだ
アイフィールナッシング
そして目を逸らしたんだ
人生最高期だった高校2年間が終わって
オレは適応障害だったり双極性障害になった
とても普通の感じじゃいられなくなって
とんでもなく危険な行動したと思ったら
急にふさぎ込んだり
夜中に急に出かけて
出かけた先で
何をするでもなく座り込んで動けなくなったり。
とにかく不安で
何かわからないことに不満があって
閉塞感しか感じなかった
閉塞感の正体もわからないまま
漫然と日々を過ごして
高校の時にはそれなりにいたはずの友達もいなくなって
今じゃ友達と言える存在は一人しかいなくなってしまった。
目の前は真っ暗だし
何もする気が起きないし
学校は毎日行ってたけど
果たして意味はあったんだろうか
今でもあの2年の時間は疑問に思う。
行きと帰りの音楽を聴いてる時間だけは楽しかった。
そういえば
あの時もこんな感じのブログ的なの書いてたの思い出したけど
どこ行ったんだろう。
あの時
ちゃんと病院に行ってればちょっとは違ったのかもしれないけど
そんな発想にはならなかった
これが後にやばいことになってることに気づくのは
もうちょっと後のこと
自分に嘘をついて
都合の悪そうな自分の声を無視して
なんだかキレイっぽい感情だけ拾って取り繕って
それっぽく形になったからなんとなく学校行って
毎日なんかのCD買って帰って。
否定されない
肯定されて
居心地がよかった
否定されるってのはやばいんだ
身をもって知っている。
否定する側の人は
多分その行いで人の精神を壊している自覚はないんだろう。
否定される側のことを考えたことはありますか?
下がった自己肯定感は
上がり方もわからず
困ったことがあっても
誰に
どうやって助けを求めて
助けてもらっている中で
遠慮して
自分から遠ざけて。
それか自分から離れて行って。
結局
自分が見つけた
人目につかないところで
一人で都合のいい現実だけ見て。
あのときと比べれば
精神状態は少しはましになった気がするけど
10年以上もそんな生活をしてたら
もう元には戻れない
自分に無理させないように。
人より壊れやすいんだから。
あんまり人に話さないこと。
口数が少ないのは病気のせい。
話してても目線が合わないのも
この病気のせい。
悪感情はないです。
苦労はしてる。
壊れかけている人を見たら
無限に優しくしないといけない気がする。
オレみたいに精神が壊れていく人の姿なんか見たくないよ。
とか言って
壊れてるなら壊れてるなりのやり方も
ここまでで身に着けた。
人間の適応力すげえ。
適応障害のてめーが何言ってんだ。